跳満ラビットの歩む道~樋口栄佳のこれから~【麻雀ウォッチ シンデレラリーグ 第3節予選Bブロック1卓】
「これが今の私の実力なんだと痛く感じています。でも……麻雀やっていて楽しいなって、シンデレラリーグでは思っていました。他団体を含めた女流プロの人たちが集まって、こうやって同じルールでテレビ対局で麻雀をするという独特の雰囲気があって、その中に自分がいると感じると、すごく楽しい。もちろん麻雀をやっているわけだから勝たなきゃいけないけど、それ以前に……なんて言ったらいいんだろう。ありがたいなっていう気持ちが強かったです」
最高位戦日本プロ麻雀協会所属、「跳満ラビット」樋口栄佳。彼女の「麻雀ウォッチ シンデレラリーグ」への挑戦は、この日、終わりを迎えた。最終第3節開始前のポイント状況は、下記の通りだった。
1位の塚田が97.6ポイントで、5位の中山が43.3ポイント。上位5名のポイント差がひじょうに拮抗しており、樋口を含めた下位3名は3ケタマイナスという状況だった。
樋口がこの日対局したのは、8位の松田、4位の夏目、3位の水谷。樋口にとって、3トップ以上がプレーオフや準決勝へ進出する可能性を残す最低条件だ。大きく勝てば夏目と水谷の順位を沈めることができる。だが、それでも翌週に行われる後半卓には塚田、都美、中山といった上位陣が控えているため、どのみち厳しいことには変わりがない。それほどまでに樋口は切羽詰まっていた。
シンデレラリーグの予選はプレーオフシステムを採用しているため、各ブロックの5位以内に食い込むことが最低限の目標となる。そのため、本来であればいわゆる「目無し」の選手は生まれにくい。生まれにくいのだが、こうなってしまっては仕方がない。勝ち進む可能性を少しでも増やすために、「大振り」をする局面を増やすしかない。それが、どんな結果を生むことになろうとも――。
トップ奪取はもちろんのこと、点数を少しでもかき集めたい。それは勝負にいく局面を増やすということで、それだけ放銃のリスクも増えるということになる。1回戦東4局は役々赤をテンパイしているところから、松田に8000の放銃。
ラス目に立った樋口は、南1局の親番でタンヤオ・赤1のテンパイを果たす。ここでも水谷のリーチに対し当たり牌のをつかみ、8000点を失った。
さらに南3局1本場、またしてもテンパイしているところからで水谷に・ドラ2・赤1の8000点を放銃。これまでの2節の厳しい展開をリピートするかのように、樋口は当たり牌をつかみ続けた。
ただでさえ厳しすぎたスタートラインから、わずか1戦でさらに後退を余儀なくされてしまった。
対局中、僕は立会人として選手たちの動向を見守っている。合間には資料用として選手たちの対局風景をカメラに収めているのだが、樋口はじつに写真映えする。背筋を伸ばし、凛とした表情で牌と向き合う。淡々と模打を繰り返す姿は、見ていてじつに心地よい。
そんな彼女も、この日ばかりは表情を歪めることが多かったように見えた。上位陣との差はどんどん離され、勝つために取れる選択の幅は徐々に狭まっていく。極限まで追い詰められながら平静を貫くことが、どれだけの人にできるのだろう? 対局に立ち会う立場である以上、僕が誰かに肩入れをすることはない。けれど、歯を食いしばって歩みを止めない樋口の姿に、心打たれるものがあったのは確かだった。そして、それはきっと僕だけではないと思う。
2回戦東1局、樋口に反撃の狼煙と成り得る極上の配牌が巡ってきた。すでに2アンコがあり、も重なった。奇跡を信じるのなら、この手は四暗刻に仕上げるしかない。
ドラのを残してを切り、少しでも他家の警戒度を下げる工夫をした。他家に安手で蹴られて、この手が台無しになっては目も当てられない。
11巡目にを持ってきて、そろそろ抱えているのも限界だとばかりに打。松田のに合わせる形で、筋牌を放った。
このを水谷がポン。タンヤオ・ドラ3・赤1の1シャンテンだ。同巡――
樋口の元へが流れてきた。もし樋口がをツモ切っていたら、このを捉えることはできなかった。リーチをかけて、出アガリでの跳満を確定させる。同時に、少しでも向かってくる相手を減らすことで、ツモアガリの可能性を増やせるメリットもある。は1枚、は2枚も山に眠っている。
リーチをかけている樋口と、そのリーチに無筋を放っている水谷。両者が危険な気配を漂わせているなか、夏目が樋口の当たり牌であるをつかんだ。自身が赤ドラを含んだ好形の1シャンテン。しかもは水谷の現物だ。一瞬の逡巡を挟んで――
夏目は両者の現物であるを抜き打った。樋口の変則的な河を見る限り、トイツ手の可能性はかなり高い。ならば、1枚切れのを打つことはできない。この高い守備力は夏目の持ち味だが、ポイント状況ゆえに降りる選択を取る余裕があるとも言える。
樋口がをつかんだ。もし樋口の四暗刻が成就していたならば、素点32ポイントに順位点40ポイントが手に入った可能性が高い。今の樋口のトータルポイントでは、役満1回でも心もとないのは間違いない。だが、それでもこの手は彼女にとって一縷の望みだった。
それでも、まだまだ戦いは終わっていない。
東3局1本場には、赤ドラを含んだダブリーチャンスという神配牌まで訪れた。
時間はかかったがをツモり、2100-4100の加点。原点近くまで復帰を果たす。
さらに東4局1本場、樋口の元へまたしても配牌1シャンテンのチャンスが! さすがの樋口も、この表情である。ドラがで、234や345の三色も見える。をカンしてドラ期待で高打点を目指すのがマジョリティのようにも思えるが――
彼女は跳満ラビット! を切り、345の三色を見据えた手組みにした。
をツモり、裏ドラも乗せて3100-6100のアガリ。思えば、これが樋口のシンデレラリーグ初跳満だった。
だが南2局1本場、供託が4本あるなかで夏目が役々・トイトイ、2100-4100をアガってトップ目に立った。
南3局、5300点のビハインドを背負った樋口は、カン待ちののみから、をポン。・トイトイ、単騎の裸単騎に構えた。ツモるか夏目から5200を直撃すれば、トップ目でオーラスを迎えられる。
そのが、夏目の元へとやってきた。ドラのをポンしている満貫テンパイだが、樋口がテンパイから打点アップのために待ち変えをしたと考えると、待ちはに絞られる。 と持っていたならでアガっていたはずなので、その可能性はない。よって樋口は待ちというわけだ。ただし夏目は、 に待ちを変えるとフリテンとなってしまう。
それでも、このを切るわけにはいかない! 夏目は自信を持ってを河に置いた。そして――
執念の2000-4000を呼びこんだ。
樋口は勝利を信じて、あらゆる手を打ち続けた。そのことごとくを、夏目は、水谷は、打ち砕いていく。
続く3回戦も、上位陣の壁の厚さを感じさせる展開が続いた。
南3局、親番で水谷が見せたアガリは圧巻だ。ドラ1の待ちを果たした水谷だが、肝心のはすでに3枚見えている(ドラ表示牌に1枚)。とはいえ、ソーズに変化が求めやすい形ではあるが、 を払うには巡目が深く、ドラのが出ていってしまうため打点も下がってしまう。水谷は――
を切ってリーチを宣言した! もう一度、左上の河を見てほしい。全員が早い巡目にピンズの上目を切っており、残り1枚のは高確率で山に眠っていそうだ。え? それでも3枚見えのカンチャンリーチは怖い? 地獄単騎のようなものと思えば問題なし!
そして力強くツモ! 2000オールのアガリで、夏目をまくってトップ目に立った。
夏目も負けていない。
直後にテンパイを果たす夏目。が4枚見えているため 待ちで、ならば平和がついて出アガリがきく。この手が――
タンヤオまで確定し――
見事に高めのをツモって2100-4100とした。裏ドラ次第ではあるが、ファーストテンパイの時点で即リーをかけていたら、800-1400で終わっていたかもしれない。
結局3回戦は、夏目のトップに終わった。自分がどうしても欲しかったトップを争う夏目と水谷。両者のやり取りを見ていて、樋口は「この2人は本当に強い」と、素直に感嘆したという。そして、冒頭の言葉につながる。
「麻雀の放送対局というのは、本当は強い人が出るべきだと思います。だけど、自分はチャンスをつかみたい。地道にリーグ戦とか他のオープンタイトルとか出て、いっぱい場数を踏ん
で、トッププロに近づいて、また放送対局に出たい。もっと強くなりたいです」
最終4回戦開始前、樋口は「この半荘のトップを目指す」と宣言した。
「私の麻雀人生において、トップを取れるのに取らないのは自分じゃないと思う。それに、最後までしっかり打たないとファンのみなさんにも、対局者にも失礼だと思っているので」
いわゆる「目無し」の選手がどう打つべきかという明確な答えは、今の麻雀界には存在しない。樋口のように半荘トップを目指す人、最終戦の松田がそうだったように役満を積極的に狙っていく人、迷惑をかけまいと降りに徹する人、全ての思考が紛れを生むとしてツモ切り続ける人……。どれが正解なのだろうか? この日、解説を務めた多井は「麻雀界のドンのような人が、明確な答えを提示してほしい。でなければ選手がかわいそう」とコメントを残した。将来、そんな未来もやってくるかもしれない。でも僕らは、今の時代に生きる僕らは、選手が頭を悩ませてひねり出した答えに、身をゆだねるべきなのだと思う。「目無し、かくあるべき」という明確な答えがないなかで、僕たち傍観者の主観を押しつけるのはあまりに乱暴だ。せめて、樋口の最後を見届けよう。彼女の、今後の麻雀人生につながる可能性を。
最終戦の樋口は、じつに軽やかだった。東3局、親番でをポンし――
をツモって1100オール。樋口としては、朝まで連荘を続けるくらいのつもりで鳴いたのかもしれない。だが、メンツ手で進行していたら満貫や跳満になったかもしれないこの手を、3回戦までの樋口は鳴けただろうか? メンツ手進行と鳴き進行、どちらが良いかという話ではない。この時の樋口は何かが吹っ切れたかのように見えた。「跳満ラビット」というキャッチフレーズの「跳満」を志す彼女も悪くないが、うさぎのように軽やかに跳ね回る樋口も、また魅力的だと思う。
こうして親番を繋いだ次局、樋口の手にはダブとがトイツであった。
どちらも序盤に鳴くことができ、ピンズ余らずのホンイツテンパイを果たす。
12300のアガリ。これが決め手となり、これまで苦しんでいたのが嘘のように、樋口は最後にようやくトップを手に入れた。
最終戦の樋口の対局を見ていて、ふとよぎった言葉があった。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
江戸時代後期の平戸藩主、松浦静山の著書「剣談」に記された名言だ。負ける場合は必ず理由がある。負ける理由があっても、外的要因などで勝つこともある。そんな意味を持つこの名言だが、じつは続きがある。
「道に遵い術を守るときは其の心必ずしも勇ならざると雖ども勝ちを得」
「道」を守り続けていれば、勇ましい心がなかろうと必ず勝てる――。跳満ラビットは、光明が差した道をきっと歩んでいる。
文:新井等(スリアロ九号機)
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